城地
柳川
たちばな むねしげ
左近将監いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。
― 新たな密書が届いた ―
はっ、鎮西一とは面映(おもは)ゆい。次は小西摂津守行長殿のもとへ。「朝鮮の陣、先鋒の御苦労、しかと見ており申した」とお伝えあれ。あの御仁、堺の商人あがりの知恵者にして、和議に奔走した苦労人よ。
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宗茂・行長はともに朝鮮へ渡海。行長は一番隊先鋒として漢城まで進攻し、和平交渉にも奔走した。九州大名の繋がり。
高橋紹運の子で立花道雪の養子。九州随一の武勇を誇った。
秀吉から「鎮西一」と称賛され筑後柳川13.2万石を与えられた。文禄の役では碧蹄館の戦いで明軍を破った。
関ヶ原西軍につき改易。後に旧領柳川10.9万石へ復帰した唯一の大名となる。
岩屋城(父紹運の死)・碧蹄館・関ヶ原
柳川藩立花家として明治まで
立花家は伯爵
柳川立花邸御花・立花宗茂公の墓
秀吉に「鎮西一の武将」と評された猛将。特別史跡陣跡。
緯度 33.5216989 / 経度 129.8747887 ・Googleマップで開く
名護屋城陣あとプロジェクト