名護屋城陣あとプロジェクト

立花宗茂

たちばな むねしげ

左近将監
⚔ 陣あとめぐり 1 / 21 陣

いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。

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立花宗茂からの密書

― 新たな密書が届いた ―

はっ、鎮西一とは面映(おもは)ゆい。次は小西摂津守行長殿のもとへ。「朝鮮の陣、先鋒の御苦労、しかと見ており申した」とお伝えあれ。あの御仁、堺の商人あがりの知恵者にして、和議に奔走した苦労人よ。

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この密書のゆかり 史実

宗茂・行長はともに朝鮮へ渡海。行長は一番隊先鋒として漢城まで進攻し、和平交渉にも奔走した。九州大名の繋がり。

城地
柳川
都道府県
福岡県(筑後)
石高
13.2万石
所属藩
柳川藩
名護屋出兵時の年齢
25歳
出生年
1567年
没年
1643年
大名の居城
柳川城
出陣・在陣
渡海

武将のステータス

性格
清廉・無欲
特技
武芸

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

高橋紹運の子で立花道雪の養子。九州随一の武勇を誇った。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

秀吉から「鎮西一」と称賛され筑後柳川13.2万石を与えられた。文禄の役では碧蹄館の戦いで明軍を破った。

その後のエピソード

関ヶ原西軍につき改易。後に旧領柳川10.9万石へ復帰した唯一の大名となる。

主な戦いの戦績

岩屋城(父紹運の死)・碧蹄館・関ヶ原

子孫と家臣

柳川藩立花家として明治まで

明治維新後の歴史

立花家は伯爵

現代に残る面影

柳川立花邸御花・立花宗茂公の墓

備考

秀吉に「鎮西一の武将」と評された猛将。特別史跡陣跡。

陣あとの位置

緯度 33.5216989 / 経度 129.8747887 ・Googleマップで開く

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