名護屋城陣あとプロジェクト

加藤嘉明

かとう よしあきら

左馬助
⚔ 陣あとめぐり 2 / 21 陣

よき滑り出しじゃ。次なる陣あとへ、足を進めよ。

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加藤嘉明からの密書

― 新たな密書が届いた ―

七本槍の誼、ありがたく候。さて次は海の兵(つわもの)、九鬼大隅守嘉隆のもとへ。「朝鮮の海、貴殿の水軍さばき、見事であった」とな。わしも水軍を率いた身、あの御仁の船いくさには学ぶところ多し。

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この密書のゆかり 史実

嘉明・嘉隆はともに水軍を率いて朝鮮の海で李舜臣らと戦った。海の武将同士の敬意で繋がる。

城地
志知(淡路)→松前
都道府県
兵庫県(淡路→当時の主要地)
石高
1.5万石→6.9万石
所属藩
松山藩→会津藩
名護屋出兵時の年齢
29歳
出生年
1563年
没年
1631年
大名の居城
松前城(伊予)→後に松山城
出陣・在陣
渡海

武将のステータス

性格
剛毅
特技
水軍

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

三河松平の出身。秀吉に仕え賤ヶ岳七本槍の一人として武功を挙げた。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

水軍の将として朝鮮の海で李舜臣と戦った。陣は岬上の要害に築かれた。

その後のエピソード

関ヶ原で東軍。伊予松山20万石、後に陸奥会津40万石。

現代に残る面影

松山城(現存12天守)

備考

賤ヶ岳七本槍の一人。水軍の将として多くの海戦に参戦。特別史跡陣跡(呼子大橋前)。

陣あとの位置

緯度 33.5399628 / 経度 129.8840818 ・Googleマップで開く

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📖 ご利用ガイド

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