名護屋城陣あとプロジェクト

堀秀治

ほり ひではる

⚔ 陣あとめぐり 2 / 21 陣

よき滑り出しじゃ。次なる陣あとへ、足を進めよ。

参加登録すると、めぐりの記録が残り、達成時に称号が授けられます。 ⚔ 参加登録する →

堀秀治からの密書

― 新たな密書が届いた ―

はっ、上杉殿の御旧領、しかとお預かりいたす。さて次は信濃の古狸・真田安房守昌幸のもとへ。「わが陣の能舞台にて、一差し舞うてくだされ」とお誘いせよ。あの智将、戦さばかりでなく風流も解す御方と聞く。

次の目的地 真田昌幸 陣あと
🧭 次の陣あとへ道案内

現在地から徒歩ルートを表示します(位置情報の許可が必要です)

この密書のゆかり 物語

堀秀治の陣あとは能舞台跡が確認された最も整備された陣として知られる。真田昌幸は徳川の大軍を二度撃退した「表裏比興の者」と評された智将。(能の誘いは創作的演出)

城地
北ノ庄
都道府県
福井県(越前)
石高
16万石
名護屋出兵時の年齢
16歳
出生年
1576年
没年
1606年
大名の居城
北ノ庄城(後に春日山城)
出陣・在陣
名護屋在陣

武将のステータス

性格
若年ながら家臣に支えられる
特技

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

堀秀政の長男。父の死後家督を継ぐ。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

少年で名護屋に在陣。陣跡には能舞台跡まで確認され、当時の華やかさを伝える。

その後のエピソード

慶長3年に越後春日山45万石へ転封。関ヶ原で東軍に与す。

備考

越前北ノ庄18万石(領内総石高)。慶長3年(1598)越後春日山45万石へ。御殿や能舞台跡が確認された最も整備された陣跡。特別史跡陣跡。

陣あとの位置

緯度 33.5237843 / 経度 129.8614007 ・Googleマップで開く

← 武将一覧へ戻る

📖 ご利用ガイド

名護屋城陣あとプロジェクト