名護屋城陣あとプロジェクト

上杉景勝

うえすぎ かげかつ

中納言
⚔ 陣あとめぐり 1 / 21 陣

いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。

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上杉景勝からの密書

― 新たな密書が届いた ―

……(しばし沈黙ののち、重々しく口を開く)。わが執政・兼続にも申しつけてある。次は越前の堀秀治のもとへ参れ。「わが旧領・春日山、くれぐれも頼むぞ」と伝えよ。あの地は、亡き謙信公以来の大切な国ぞ……。

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この密書のゆかり 史実

景勝が会津へ転封された後、その旧領・越後春日山には堀秀治が入った。上杉ゆかりの地を引き継ぐ者として繋がる。

城地
春日山
都道府県
新潟県(越後)
石高
56.1万石
所属藩
米沢藩
名護屋出兵時の年齢
36歳
出生年
1556年
没年
1623年
大名の居城
春日山城(後に米沢城)
出陣・在陣
名護屋在陣

武将のステータス

性格
寡黙・義に厚い
特技

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

上杉謙信の養子。御館の乱で景虎に勝利し家督を継承。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

豊臣政権下で五大老。名護屋へは執政直江兼続を伴って在陣した。

その後のエピソード

慶長3年に会津120万石。関ヶ原では西軍に与し戦後米沢30万石へ減封。

主な戦いの戦績

川中島の戦い(謙信時代)・御館の乱・慶長出羽合戦

子孫と家臣

米沢藩上杉家として明治まで

同盟状況

直江兼続が補佐

明治維新後の歴史

上杉家は伯爵

現代に残る面影

米沢上杉神社・春日山城跡(上越市)

備考

豊臣政権五大老の一人。慶長3年(1598)会津120万石へ転封。特別史跡陣跡。

陣あとの位置

緯度 33.5410124 / 経度 129.8535600 ・Googleマップで開く

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