名護屋城陣あとプロジェクト

伊達政宗

だて まさむね

羽柴越前守・独眼竜
⚔ 陣あとめぐり 1 / 21 陣

いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。

参加登録すると、めぐりの記録が残り、達成時に称号が授けられます。 ⚔ 参加登録する →

伊達政宗からの密書

― 新たな密書が届いた ―

これなる伊達藤次郎政宗、火急の願いの儀あり。わが六男・忠輝めを、徳川殿の養子に……いや、よしなに取り計らってほしいと伝えてまいれ。あの御仁は気難しいゆえ、心して参るのだぞ。

次の目的地 徳川家康 陣あと
🧭 次の陣あとへ道案内

現在地から徒歩ルートを表示します(位置情報の許可が必要です)

この密書のゆかり 史実

政宗の娘・五郎八姫(いろはひめ)は家康の六男・松平忠輝に嫁いだ。伊達と徳川は姻戚関係で結ばれていた。

城地
岩出山
都道府県
宮城県(陸奥)
石高
61.4万石
軍役数
約3,000人
所属藩
仙台藩
名護屋出兵時の年齢
26歳
出生年
1567年
没年
1636年
大名の居城
岩出山城(後に仙台城)
出陣・在陣
渡海

武将のステータス

性格
進取・派手好きで機略に富む
特技
和歌・能・料理

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

出羽米沢に生まれ、幼少期に右目を失う。家督相続後、奥州統一を進め南奥羽の覇者となった。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

小田原参陣が遅れ秀吉に臣従。名護屋から朝鮮へ渡海し、金箔の陣羽織で軍勢を率い「伊達者」の語源となった。

その後のエピソード

関ヶ原では東軍に与し仙台藩62万石。慶長遣欧使節を派遣するなど独自外交を展開した。

主な戦いの戦績

人取橋・摺上原・文禄慶長の役・関ヶ原(東軍)・大坂の陣

子孫と家臣

仙台伊達家。片倉小十郎景綱ら。

同盟状況

徳川家康に接近。豊臣・徳川双方と通じる。

明治維新後の歴史

仙台伊達家は明治に伯爵。

現代に残る面影

仙台城跡の騎馬像・瑞鳳殿・仙台市博物館

備考

慶長3年に岩出山から仙台へ。

陣あとの位置

緯度 33.5297096 / 経度 129.8867121 ・Googleマップで開く

← 武将一覧へ戻る

📖 ご利用ガイド

名護屋城陣あとプロジェクト