城地
会津若松
がもう うじさと
飛騨守・羽柴会津侍従いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。
― 新たな密書が届いた ―
おお、茶の湯と申されたか。ならば次は古田織部のもとへ。「利休亡き後の茶の湯、貴殿に託す」と伝えてくれ。我ら同じく宗易(そうえき)…利休の弟子よ。
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氏郷・織部はともに利休七哲。千利休の高弟として茶の湯の道を究めた。利休切腹後の茶道を担う者同士。
近江日野に生まれ、信長の人質を経て娘婿となる。若くして武功を重ね、信長・秀吉に重用された。
奥州仕置きで会津92万石を与えられる。鶴ヶ城を改修し東北最大の拠点とした。名護屋では諸将と並び在陣。
文禄4年伏見で病没。会津蒲生家は嫡子秀行へ。
伊勢長島・賤ヶ岳・小牧長久手・小田原・九戸
蒲生家は嫡子断絶後に断絶
織田・豊臣譜代
会津若松鶴ヶ城・蒲生氏郷公の墓(会津若松興徳寺)
文禄4年(1595)京で病没(享年40)。
緯度 33.5393770 / 経度 129.8626417 ・Googleマップで開く
名護屋城陣あとプロジェクト