名護屋城陣あとプロジェクト

蒲生氏郷

がもう うじさと

飛騨守・羽柴会津侍従
⚔ 陣あとめぐり 1 / 21 陣

いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。

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蒲生氏郷からの密書

― 新たな密書が届いた ―

おお、茶の湯と申されたか。ならば次は古田織部のもとへ。「利休亡き後の茶の湯、貴殿に託す」と伝えてくれ。我ら同じく宗易(そうえき)…利休の弟子よ。

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この密書のゆかり 史実

氏郷・織部はともに利休七哲。千利休の高弟として茶の湯の道を究めた。利休切腹後の茶道を担う者同士。

城地
会津若松
都道府県
福島県(陸奥)
石高
91.9万石
所属藩
名護屋出兵時の年齢
36歳
出生年
1556年
没年
1595年
大名の居城
鶴ヶ城
出陣・在陣
名護屋在陣

武将のステータス

性格
文武両道で律儀。キリシタンに改宗。
特技
茶道(利休七哲)・築城・領国経営

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

近江日野に生まれ、信長の人質を経て娘婿となる。若くして武功を重ね、信長・秀吉に重用された。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

奥州仕置きで会津92万石を与えられる。鶴ヶ城を改修し東北最大の拠点とした。名護屋では諸将と並び在陣。

その後のエピソード

文禄4年伏見で病没。会津蒲生家は嫡子秀行へ。

主な戦いの戦績

伊勢長島・賤ヶ岳・小牧長久手・小田原・九戸

子孫と家臣

蒲生家は嫡子断絶後に断絶

同盟状況

織田・豊臣譜代

現代に残る面影

会津若松鶴ヶ城・蒲生氏郷公の墓(会津若松興徳寺)

備考

文禄4年(1595)京で病没(享年40)。

陣あとの位置

緯度 33.5393770 / 経度 129.8626417 ・Googleマップで開く

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📖 ご利用ガイド

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