名護屋城陣あとプロジェクト

徳川家康

とくがわ いえやす

江戸大納言・内大臣
⚔ 陣あとめぐり 2 / 21 陣

よき滑り出しじゃ。次なる陣あとへ、足を進めよ。

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徳川家康からの密書

― 新たな密書が届いた ―

伊達めの口上、しかと聞き届けた。さて次は前田又左衛門利家殿のもとへ参られよ。「五大老として、豊臣の世を共に支えようぞ」と、この家康の言葉を届けてくれ。あの槍の又左、まだ達者でおろうか。

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この密書のゆかり 史実

家康と利家はともに豊臣政権の五大老。利家は秀吉の盟友として家康を牽制する立場でもあり、両雄の均衡が天下を保っていた。

城地
江戸
都道府県
東京都(武蔵)
石高
240.2万石
軍役数
約15,000人
所属藩
—(後の江戸幕府)
名護屋出兵時の年齢
51歳
出生年
1543年
没年
1616年
大名の居城
江戸城
出陣・在陣
名護屋在陣

武将のステータス

性格
忍耐強く慎重・現実主義
特技
鷹狩り・水練・薬の調合

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

三河岡崎に生まれ、人質生活を経て独立。三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を治める東海の雄となった。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

小田原征伐後に関東250万石へ移封。名護屋では渡海軍に加わらず在陣し、豊臣政権の重鎮として国内を支えた。

その後のエピソード

秀吉没後の関ヶ原に勝利。1603年征夷大将軍となり江戸幕府を開く。

主な戦いの戦績

桶狭間・三方ヶ原・長篠・小牧長久手・関ヶ原・大坂の陣

子孫と家臣

徳川将軍家。本多忠勝・井伊直政ら徳川四天王。

同盟状況

織田信長と清洲同盟。後に豊臣秀吉と和睦。

明治維新後の歴史

徳川宗家は明治に公爵。徳川慶喜は静岡へ。

現代に残る面影

日光東照宮・久能山東照宮・各地の銅像・江戸城(皇居)

備考

豊臣政権五大老の一人。名護屋城跡の北東約700mに本陣跡。海を隔てた東側対岸に別陣も。特別史跡陣跡。

陣あとの位置

緯度 33.5338151 / 経度 129.8752848 ・Googleマップで開く

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