城地
熊本
かとう きよまさ
主計頭・虎之助いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。
― 新たな密書が届いた ―
うむ、又左殿の言葉、かたじけない。次は黒田甲斐守長政のもとへ走れ。「朝鮮の陣、蔚山(ウルサン)の籠城を共に耐え抜いた仲ぞ。また一献(いっこん)かたむけようぞ」とな。あやつとは死線をくぐった仲よ。
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清正と長政は慶長の役・蔚山城の戦いで共に明・朝鮮の大軍に包囲され、籠城を耐え抜いた。武断派の盟友である。
尾張中村に生まれ、秀吉の小姓となる。賤ヶ岳の戦いで「七本槍」の一人として武功を挙げた。
肥後北半国を与えられ、名護屋から朝鮮へ渡海。先鋒として奮戦し「鬼上官」と恐れられた。蔚山籠城戦で奮戦。
関ヶ原では東軍に与し肥後一国の大名に。名城・熊本城を築き、治水・新田開発でも功績を残した。
賤ヶ岳・文禄慶長の役・関ヶ原(東軍)
加藤家は後に改易、家臣団は細川家へ
石田三成と対立・徳川家康に接近
熊本城天守・熊本市の銅像・本妙寺・加藤神社
築城と虎退治の逸話で名高い猛将。
緯度 33.5280880 / 経度 129.8626827 ・Googleマップで開く
名護屋城陣あとプロジェクト