名護屋城陣あとプロジェクト

加藤清正

かとう きよまさ

主計頭・虎之助
⚔ 陣あとめぐり 1 / 21 陣

いざ、出陣!武将たちが密書を携え、そなたを待っておる。

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加藤清正からの密書

― 新たな密書が届いた ―

うむ、又左殿の言葉、かたじけない。次は黒田甲斐守長政のもとへ走れ。「朝鮮の陣、蔚山(ウルサン)の籠城を共に耐え抜いた仲ぞ。また一献(いっこん)かたむけようぞ」とな。あやつとは死線をくぐった仲よ。

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この密書のゆかり 史実

清正と長政は慶長の役・蔚山城の戦いで共に明・朝鮮の大軍に包囲され、籠城を耐え抜いた。武断派の盟友である。

城地
熊本
都道府県
熊本県(肥後)
石高
19.5万石
軍役数
約10,000人
所属藩
熊本藩
名護屋出兵時の年齢
30歳
出生年
1562年
没年
1611年
大名の居城
隈本城(後に熊本城)
出陣・在陣
渡海(二番隊)

武将のステータス

性格
豪胆・律儀・家臣思い
特技
築城・治水

武将のストーリー

生まれ・故郷・活躍

尾張中村に生まれ、秀吉の小姓となる。賤ヶ岳の戦いで「七本槍」の一人として武功を挙げた。

秀吉の時代 ─ 名護屋城

肥後北半国を与えられ、名護屋から朝鮮へ渡海。先鋒として奮戦し「鬼上官」と恐れられた。蔚山籠城戦で奮戦。

その後のエピソード

関ヶ原では東軍に与し肥後一国の大名に。名城・熊本城を築き、治水・新田開発でも功績を残した。

主な戦いの戦績

賤ヶ岳・文禄慶長の役・関ヶ原(東軍)

子孫と家臣

加藤家は後に改易、家臣団は細川家へ

同盟状況

石田三成と対立・徳川家康に接近

現代に残る面影

熊本城天守・熊本市の銅像・本妙寺・加藤神社

備考

築城と虎退治の逸話で名高い猛将。

陣あとの位置

緯度 33.5280880 / 経度 129.8626827 ・Googleマップで開く

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