会社の歴史・特徴
会社創業の背景・きっかけを教えてください。
創業のきっかけは、実は「起業したかったから」ではありませんでした。祖母の介護をきっかけに、好きだった仕事を続けられなくなるかもしれないという経験をしたことが始まりです。
私はもともとコンピューターやシステム開発が好きで、この分野を仕事として続けていきたいという思いを持っていました。しかし、祖母の交通事故で介護をきっかけに、それまでのような働き方を続けることが難しくなり、一度は好きな仕事から離れなければならないかもしれないという状況になりました。
そこで、「家族を大切にしながら、自分の好きな仕事も諦めずに続ける方法はないだろうか」と考えたことが、独立を考える大きなきっかけになりました。インターネットやITを活用すれば、場所や時間にとらわれず、自分自身で仕事をつくることができるのではないかと考え、2001年5月に個人事業として創業しました。
「環境や事情によって、やりたいことを諦めなくてもよい社会を技術でつくりたい」
その思いは現在にもつながっており、AIや生成AIを活用して、年齢や住んでいる場所、働く環境などに左右されず、多くの人が自分の可能性を活かせる仕組みをつくることを目指しています。
会社の特徴・強み・優位性はどこにありますか。
当社の強みは、2001年の創業以来、時代の変化をいち早く捉え、新しい技術を実際のサービスとして形にしてきたことです。
インターネットの普及期からWebシステム開発に取り組み、スマートフォンの黎明期にはいち早くアプリ開発へ挑戦。そして現在は、生成AIを活用したシステムやサービスの開発に力を入れています。
私たちは、新しい技術が広く普及してから取り入れるのではなく、「これから社会を変える可能性がある」と感じた段階から、自ら試し、つくり、サービスとして世の中に届けることを大切にしてきました。
また、単にシステムを開発するだけではなく、企画、設計、AI連携、Web・アプリ開発、サーバー構築、運用まで、一連の工程を見据えてサービスを形にできることも大きな強みです。さらに、企業の業務効率化だけではなく、観光、地域活性化、教育、福祉など、ITやAIを社会課題の解決につなげる開発にも積極的に取り組んでいます。
長年培ってきた開発経験と、新しい技術への挑戦力、そして「実際に使われるところまで形にする力」が、当社の特徴だと考えています。
会社(事業)として大切にしていること、心がけていることは何ですか。
私たちが大切にしているのは、「技術によって、人が何かを諦めなくてもよい社会をつくること」です。
創業の背景には、祖母の介護によって、それまで好きだった仕事を続けることが難しくなりかけた自身の経験があります。だからこそ、年齢や住んでいる場所、家庭環境、障がいなど、さまざまな事情によって、人の可能性や挑戦の機会が失われてしまうことを、ITやAIの力で少しでも変えていきたいと考えています。
また、新しい技術そのものを目的にはしていません。AIを導入することが目的なのではなく、その技術によって誰が助かるのか、何が便利になるのか、どのような新しい可能性が生まれるのかを常に考えるようにしています。
お客様からご依頼いただいたものをそのまま作るだけではなく、その背景にある課題まで考え、より良い方法があれば提案し、一緒に新しい価値をつくっていくことも大切にしています。そして、地方にいることや企業規模を理由に可能性を限定せず、佐賀県唐津市からでも全国、世界へ通用するサービスを生み出せることを、自分たち自身が実践していきたいと考えています。
「新しい技術を、一部の人だけのものにしない。」
「人の可能性を広げるために技術を使う。」
その姿勢を、これからも大切にしていきたいと思っています。
創業から現在に至るまで、会社に強い影響を与えたエピソードはありますか。
創業から現在までを振り返ると、大きな転換点の一つがスマートフォン、そしてiPhoneの登場でした。
特に、ソフトバンクの孫正義氏がいち早くiPhoneの可能性を見据え、日本での展開に挑戦された姿に大きな刺激を受けました。「これからはパソコンだけではなく、誰もが持ち歩く端末の中でソフトウェアが動く時代になる」と感じ、スマートフォンアプリ市場の黎明期からアプリ開発・配信に積極的に取り組みました。
その後、自社で企画・開発したアプリが世界の販売ストアランキング1位を獲得したほか、DoCoMo公式店頭パンフレットへの掲載、GMO「アプリやろうぜ!」コンテストでのカテゴリ大賞受賞など、さまざまな成果につながりました。
この経験から学んだのは、技術が広く普及してから追いかけるのではなく、「これから社会を変える」と感じた技術に早い段階から挑戦することの大切さです。現在、生成AIに積極的に取り組んでいるのも、その経験が原点になっています。スマートフォンが社会を大きく変えたように、AIもこれから人々の仕事や暮らしを大きく変えていくと考えています。
現在の取り組みと将来像
現在、最も注力している取り組みや事業を教えてください。
現在、特に力を入れているのは、唐津の歴史や文化をAIやデジタル技術によって、より楽しく、より深く体験できる仕組みづくりです。
「唐津くんち曳山なび」では、従来の位置情報や案内機能に加え、AIナビをさらに充実させ、子どもや観光客の方々が楽しめる仕掛けを増やしていきたいと考えています。例えば、曳山囃子や映像を組み合わせ、実際に唐津くんちの中に入り込んだような雰囲気を楽しめる体験や、AIによって曳山そのものとリアルタイムで会話できる仕組みを構想しています。
「今日はどんな気持ちで曳かれているの?」「昔の唐津くんちはどんな様子だったの?」と曳山に問いかけると、まるで魂が宿った曳山本人が答えてくれる。そうした少しファンタジーを感じる体験によって、子どもたちにも唐津くんちの歴史や魅力に自然と興味を持ってもらえる仕組みをつくりたいと思っています。
また、名護屋城を舞台とした取り組みでは、AI武将「豊臣秀吉」とリアルタイムで会話できる体験をさらに発展させたいと考えています。名護屋城大茶会などの場で、来場者がAIの豊臣秀吉に「なぜ名護屋城を築いたのか」「当時どのような思いで全国の武将を集めたのか」と直接問いかけ、まるで当時の豊臣秀吉本人と話しているように歴史を体験できる仕組みです。
歴史を説明文として読むだけではなく、その時代の人物や文化と対話することで、歴史の中に入り込んだような臨場感を生み出す。そうした新しい観光体験を、唐津から発信していきたいと考えています。
今後、どのような目標をかかげ、会社を継続・成長・発展させていきたいですか。
今後目指しているのは、首都圏や都市圏で生まれたサービスを地方がそのまま利用するだけではなく、地域に暮らす人たち自身が、その土地に本当に必要な仕組みをつくり、育てていける環境を実現することです。
地方には、その地域ならではの文化や歴史、ルール、しきたり、人と人とのつながり、そして長年続けられてきた取り組みがあります。そこには、現地で暮らし、地域の人たちと接しているからこそ分かる課題やニーズがあり、外から見ただけでは気付けないものも数多くあると思います。
これまでは、完成されたシステムやサービスを提供され、利用することが中心でした。しかしAIの進化によって、これからは大きく変わると考えています。AIを巧みに活用することで、専門的な開発技術を持つ人だけではなく、地域のことを最もよく知る人たちのアイデアを、実際のシステムやサービスとして形にできる時代になりつつあります。
「用意された仕組みを使う」から、「自分たちに必要な仕組みを、自分たちでつくり、運用し、成長させる」へ。
その変化をAIの力で実現したいと考えています。例えば唐津には、唐津くんちや名護屋城をはじめ、その土地でなければ生まれない文化や歴史があります。地域を知る人の発想とAIを組み合わせることで、観光、産業、教育、福祉、仕事など、それぞれの地域に特化した新しい仕組みを生み出せると考えています。
私たち自身も、佐賀県唐津市に拠点を置く企業だからこそ生み出せるサービスをつくり続け、そこで得た技術や経験を、ほかの地域でもそれぞれの特色を生かすために役立てていきたいと思っています。
地方が最新技術を受け取る側ではなく、AIを武器に新しい価値を生み出し、全国、そして世界へ発信する側になる。
その未来をつくる企業として、成長していくことが私たちの目標です。
長崎・佐賀を拠点に事業を行ってよかったと感じることやエピソードはありますか。
佐賀県唐津市を拠点に事業を続けてきたことで、地域の歴史や文化、人とのつながりを身近に感じながら、それらをITやAIの力で未来につなげる取り組みができたことを、大きな喜びに感じています。
その一つが、唐津くんちをより便利に、より楽しんでいただくために開発した「唐津くんち曳山なび」です。14台の曳山の位置情報やAIを活用した案内など、地域を代表する伝統行事とデジタル技術を組み合わせ、新しい観光体験の創出に取り組んでいます。
また、名護屋城と全国各地の戦国武将の陣跡を舞台とした「名護屋城陣あとプロジェクト」では、QRコードやAIなどを活用し、歴史を実際に歩きながら体験できる仕組みづくりを進めています。
さらに、戦国武将とリアルタイムで会話ができるAI武将「豊臣秀吉」を開発しました。11月の名護屋城大茶会で一般公開を予定しています。歴史上の人物を単に紹介するのではなく、AIを通じて対話することで、当時の歴史や名護屋城について楽しみながら学べる新しい体験を目指したものです。開発中のプロトタイプについては、佐賀県庁の職員の方々にも実際にご確認いただき、高い評価をいただきました。
こうした取り組みを通じて、地方にはデジタルやAIによって新しい価値を生み出せる歴史・文化・観光資源が数多くあると実感しています。地域に根差しているからこそ気付ける魅力や課題を、最新のAI技術で新しい体験へと変え、佐賀・唐津から全国、そして世界へ発信していきたいと考えています。
代表者の価値観・人物像
現在の役職に就任したときの心境・決意を教えてください。
「歴史に名を遺す」
代表として事業を担うと決めたとき、私の中にあったのは、「いつか歴史に名を遺せるような仕事をしたい」という思いでした。
ただ、それは単に自分の名前を有名にしたいということではありません。自分が生きた時代に何を考え、何をつくり、誰の役に立つことができたのか。その結果として、後の世代にも残るような価値を生み出したいという思いです。
インターネット、スマートフォン、そして現在のAIと、社会を大きく変える技術の転換期を経験してきました。そのたびに、ただ新しい技術を利用する側ではなく、自ら新しい仕組みやサービスを生み出す側でありたいと考えてきました。
佐賀県唐津市という地域からでも、全国や世界に届くものはつくれる。地域の文化や歴史を未来へ残すことも、誰かの働き方や人生の可能性を広げることも、技術によって実現できると思っています。
「あの時代に、こんなものを生み出した人がいた」と後の世代に語られるような仕事をする。そのくらい大きな目標を持ち、目の前の一つひとつの仕事に向き合っていくことを、代表としての決意にしています。
社会人経験の中で、ご自身に強い影響を与えたエピソードはありますか。
初めての挑戦では、結構失敗もしました。苦労もしました。ただ、失敗は成功までの布石であり、失敗したポイントがゴールではないという事です。
苦労は工夫をすることで、どうやったら楽にやれるかを考えますし、ひとつひとつ課題が見つかることに意味があると思うんです。また、難しければ難しいほどライバルも少なくなっていき、乗り越えたときの見返りも大きい。安全で楽な道ばかりは、時間の問題でどんどん先を越されてしまうし、小さなループで恩恵を繰り返すだけです。
未来の大きなビジョンを描いて、先が長いほど、目の前のステップを超えていくことに意味を感じますし、そのことが大切であると思います。
数年前までは、己のメンタルとの闘いがメインでしたね。特に、英語のドキュメントを読み漁って翻訳をするのですが、当時の翻訳は誤訳も多かった。真逆の理解が混乱を生み、途中でさじを投げだしたくなるくらいでした。ただ、この誤訳で試行錯誤をするなかで、一気に理解力が深まっていったと思います。おぼろげな知識から、点と点が繋がった知識を得ることが出来ました。無理やり復習をさせられた感じになり、自分のものとなっていった感覚を覚えています。
ところが、AIの登場で一変します。幸い、いまはAIがあります。今の時代を生きる人にとっては、この上ない相棒となると思いますし、それだけ競争の激化は計り知れないかもしれません。ただ、自分のやりたいことは結果を出しやすくなったのではと感じます。トライ&エラーで何度でもやり直せるチャンスが拡大していると思います。少々のことでは、大変だとは思わなくなり、最高のAIというツールを手に入れた転換期は、今後の自身の大きな武器となると思っています。
尊敬する人物・影響を受けた人物を教えてください。
歌手の中森明菜さんです。
もちろん、歌唱力や表現力、ビジュアル、しぐさ、そして長年にわたる実績など、魅力を感じるところは数多くあります。しかし、私が特に尊敬しているのは、自分が正しいと思ったこと、自分が本当にやりたいと思ったことを信じ、最後までやり抜こうとする姿勢です。
周囲の意見や目上の方からのアドバイスを大切にしながらも、それだけに流されるのではなく、最終的には自分自身で考え、自分が納得できる道を選ぶ。そして、その結果が思い通りにならないことがあったとしても、そこで悲観したり諦めたりするのではなく、自分の信じたものと向き合い続ける。その生き方に強く惹かれています。
「自分が目指しているものに、どちらがより早く近づけるのか」
言葉にすると簡単なようですが、自分の信念を貫けば、時には周囲から理解されなかったり、孤独になることもあると思います。それでも自分自身と向き合い、表現を続け、やがて周囲や世間の見方まで変えていく。その姿は、私にはまるでオセロの盤面を最後に一気にひっくり返していくような力強さに感じられます。
私自身も、目の前の損得や結果だけではなく、遠い未来に「自分は何を実現したいのか」を常に思い描くことを大切にしています。その目標を生きがいと思えるほど追い続けることで、自分の中に一本の揺るがない柱ができる。そして挑戦を続ける中で、自分自身も成長し、少しずつ周囲の理解や協力も得られるようになるのではないかと思っています。
自分の人生だからこそ、自分で考え、自分が納得できる道を最後まで歩く。その生き方を感じさせてくれる中森明菜さんを、私は尊敬しています。
独立・創業を考えた大きなきっかけは何でしたか。
祖母の介護が、独立・創業を考える大きなきっかけでした。
私自身、幼い頃から祖母に育ててもらい、いつか恩返しをしたいという思いを持っていました。その祖母に介護が必要となったとき、会社員として決められた場所や時間で働き続けることと、祖母を支えることの両立が難しくなりました。一方で、大好きだったシステム開発の仕事を諦めたくないという思いも強くありました。
そこで、「仕事か家族か、どちらかを諦めるのではなく、自分で両立できる働き方をつくればいい」と考えました。インターネットを活用すれば、佐賀県唐津市にいながらでも仕事ができる。自分の技術を生かして、自分自身で仕事をつくることができる。そう考え、2001年5月に創業しました。
今振り返ると、追い込まれた状況だったからこそ、それまでにはなかった選択肢を考え、新しい一歩を踏み出すことができたのだと思います。
長崎・佐賀の好きなところを教えてください。
唐津くんちでみんなが一致団結し、老若男女すべての垣根を超えてひとつになるところです。
恥もひけめも感じなく、素でストレートな感情をオープンにし、心を通わせる優しさと、力強さと勇気、鼓舞、たくましさなど、思いやりの中で振りまいていく様。日本人の心の豊かさを保ち続けることができる文化は、日本の誇りであり、地方に根強く残る祭りのおかげです。
この伝統文化を後世に残し伝え続けることで、世界中にも気持ちや心がけが伝搬していくことは、世界平和につながるものだと思っています。
幼少期〜学生時代まで、ご自身に強い影響を与えたエピソードはありますか。
私は3歳の頃から両親が不在となり、祖母に引き取られ、祖父母との3人暮らしで育ちました。
祖父は比較的早い時期から介護を必要とする状態となり、当時の祖母には、家計を支えながら祖父の介護と私の子育てを担うという、大きな負担があったと記憶しています。決して裕福な家庭ではありませんでしたが、私は祖母の深い愛情の中で育ててもらいました。雨の日も風の日も、台風の日でさえ、また自身の体調が優れない時にも、祖母は働き、生活を支え、私を育て続けてくれました。
子どもの頃からそんな祖母の背中を見て育ったことで、いつしか私の中に、「いつか祖母に恩返しをしたい」という強い思いが芽生えるようになりました。そして、「自分には何ができるのだろう」「自分の力で何かを成し遂げ、支えてくれた人に恩返しをするにはどうすればよいのだろう」と考えるようになったことが、その後の人生や仕事に対する姿勢に大きな影響を与えています。
今振り返ると、苦しい状況でも家族のために働き続けた祖母の姿から、人を思う気持ち、簡単に諦めないこと、そして自分にできることを考えて行動することを教えてもらったのだと思います。
プロフィール
| 氏名 | 鶴丸 誠(つるまる まこと) |
|---|---|
| 拠点 | 佐賀県唐津市 |
| 学歴 | 唐津工業高等学校 1992年卒業 |
| 主な影響人物 | 孫正義さん、中森明菜さん |
| 趣味・特技 | 運の良さ/直感が冴える/音楽鑑賞/ドライブ |
| 好きな食べ物 | 握り寿司、お刺身、ミートソーススパゲティ |
| YouTube | https://www.youtube.com/@ainetmakoto |
| X(旧Twitter) | https://x.com/anetm_jp |
主な経歴
- 1992年4月 〜 1996年3月 東芝コントロールシステム
- 1996年4月 〜 2000年5月 株式会社ソフトワークス
- 2001年5月 〜 現在 株式会社アイネットマコト — 代表者/システムエンジニア
- 2021年4月 〜 現在 株式会社BYEBYE — 取締役/最高技術責任者
- 2025年4月 〜 現在 adams株式会社 — 代表取締役/最高技術責任者
